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アレッサンドロ・ベルルッティ、創業者

アドリア海沿いに位置するイタリアの小村セネガリアで、1865年10月20日、アレッサンドロ・ベルルッティは生まれました。

 

幼少の頃より、自らの手で馬車を組み立てることを通じて、彼は木工を習いました。やがて村の職人を通じて、アレッサンドロはボティエ(靴を造る職人)の仕事と、その奥深さを知ります。すなわち、木を正確に削ってラストを作ること、靴のクオリティを左右する革をリスペクトすること、です。1882年、ついにはアレッサンドロは、外の世界で見聞を広めるための旅に出ます。放浪と冒険の数年の後に彼はパリへ、喧騒と華やぎに満ちた都に辿り着きます。

パリの華やかな賑わい
勤勉で完全主義者だった彼は、すでに店を構え経験を積んだ同郷の靴職人たちからの依頼もあって、早速仕事にとりかかります。オペラ座とチュイルリーの間には当時、次々と大きなホテルが建ち、パリ流のエレガンスに目のない、様々な国籍の顧客を迎えていました。そう、この時すでにアレッサンドロ・ベルルッティは、知識が豊富で要求の高い人々のために、靴を製作していたのです。

あるスタイルの誕生 : ダンディという人々
科学上の偉大な発見に導かれ、様々な芸術がその横軸を織り成す、それが世紀末の喧騒の世相でした。象徴主義者たちは練夢術に則って詩的言語を編み出し、建築はアール・ヌーヴォーの文様に覆われ始めていました。ダンディたちが標榜した、エクスクルーシブで洗練されたアート・オブ・ライフはひとつのスタイルとして結実し、ジョヴァンニ・ボルディーニの描いた一連の肖像画の中に今もその姿を留めています。プルーストからロティ、エローからサルジャンに至る、この世代のアーティストたちは例外なく、社交界の新たなエレガンスのコードをこと細かに彫琢したのです。

1895年、アレッサンドロ・ベルルッティは、男性用のレースアップ靴の金字塔« アレッサンドロ »を創り出しました。一枚革のみで造られ、外観上はステッチすらなく、まるで手袋のように滑らかで柔らかい靴でした。このスーリエ(短靴)は時代を超越してベルルッティというメゾンのスタイルを体現し、もはや神話や伝説のような存在になっています。

トレッロ・ベルルッティ、企業家

アレッサンドロの息子トレッロは、父から飽くなき探究心を受け継ぎました。彼は創造を求め、大いなる夢を描いたのです。

 

理想の息子
若いトレッロは何につけ器用でしたが、アート・オブ・ライフを彩る最高に美しいアイテムを作り出す高貴な素材、すなわち木と革に、ひときわ情熱を傾けました。家具製作や精密な木工細工もこなした彼は、素材から形あるものを作ることを何より愛したのです。

運命の力
‘狂乱の時代’の1922年にトレッロは、父を通じて彼が愛した仕事、つまり本格的にボティエの仕事に就きます。彼はボリュームに拘りました。当時、彼を取り巻いてあらゆる芸術を形づくっていたアール・デコのスタイルに影響され、トレッロはシンプルかつクラシックで洗練されたラインを考案しました。そこで創り出されたのが、«リシュリュー・ア・プラストロン»*1、«サン・ジェーヌ»*2です。増え続けるオーダーのすべてを満足させ、快適な環境に顧客を迎え入れるため、トレッロはモンタボー通り9番地に本拠を構えました。将来性と規模についても、彼は当時からベルルッティをラグジュアリー・メゾンと捉えていたのです。1928年頃より、店の知名度は急上昇します。同じ地区の、巨大な豪華ホテルのリッチな顧客たちは、ウェイテイング・リストの上で長らく待った末に、ようやくベルルッティを履くという特権を得たほどでした。

サクセス・ストーリー
数年後、モンタボー通りの店は、ラグジュアリーに慣れ親しんだ顧客には手狭となり、トレッロはマルブッフ通り26番地に移転します。彼はシャンゼリゼ通りに近いこの場所を、控えめで洗練された内装でまとめました。かくしてブティックにはトレッロ・ベルルッティの作品に魅了された映画スターたちが押し寄せます。ガストン&クロード・ガリマール、ジャン・コクトー、マルセル・アシャール、ジュール・ロワ、さらにマルセル・レルビエやシャルル・ヴァネルといった文化人たちもトレッロの店に、というより彼らの別宅というほど、足繁く訪れました。高い要求と厳しさに貫かれた父の世界で磨かれ、息子のタルビーニオは、自身の希望としてふさわしい未来を胸に抱きます。それはベルルッティの名を世界中に轟かせることでした。

タルビーニオ・ベルルッティ、革新者

一人息子だったタルビーニオは、父トレッロの元でボティエの修練を積み、彼自身の才能を開花させました。

個性へ進む道
絵に秀で、建築を学んだタルビーニオは、男性的でエレガントなシルエットを描くことを得意とし、彼自身、つま先から頭まで、メゾンの新作に身を包んでいました。

この若者は戦後のダイナミズムに身を任せつつ、変化の時代が始まったことを確信します。ベルルッティが世界に名を知らしめる時が来たのです。大胆で、先見の明を備えた情熱家であるタルビーニオは1959年、

«プレタ・ショセ・ドゥ・リュクス» 、つまり高級既製靴を打ち出します。

偉大なボティエの伝統と芸術に則って、すべてハンドメイドで造られた、代表的モデルのセレクションです。すぐに手に入ること、それこそが新しいことでした。このアイデアによってメゾンの扉は若い顧客に、移り気でせっかちなジェット・セッターたちに開かれたのです。モダンで機能的な雰囲気の中で、新しい顧客たちは常連客たちに交じって、既製靴あるいはビスポーク靴を目の当たりにします。トリュフォー、ゴダール、シャブロルといった昔からのビスポーク靴の顧客も、既製モデルをラインナップの中からひょいと選んでいました。教養があってチャーミング、かつ魅力的で物腰柔らかなタルビーニオは、メゾンの歴史の新たな1ページを、鮮やかにきり拓いて見せました。それからしばらく後に、彼の年下の従姉妹であるオルガがメゾンに合流し、次は彼女が、創造の翼に新たな息吹を吹き込むのです。

オルガ・ベルルッティ、アーティスト

オルガ・ベルルッティがマルブッフ通りに着いたのは1959年。生まれ故郷から出てきたばかりの、タルビーニオの年下の従姉妹は、その決まり事のすべてが彼女にとって馴染みのない、そんな世界を目の当たりにします。

しかし持ち前の利発さと天真爛漫さで、彼女はすぐに従兄弟と打ち解け、顧客の皆々から信頼を勝ち得ます。彼女は少しづつ、今や店の主となった従兄弟と固い信頼を築き上げました。若く溌剌とした感覚は常連客の驚異の的となり、買うという行為すら彼女は一種のゲームに変えてしまったのです。

様々な色
タルビーニオの想像力とオルガの大胆さは、驚くほどマッチしました。彼女によっ て店は、気のおけない仲間と会話できるサロンへと変わり、ジャック・ラカン、イヴ・サン・ローラン、ピエール・ベルジェ、カール・ラガーフェルドらは、そ うした刺激的な調和をこの場に見い出し、愛してやみませんでした。

1962年、オルガはアンディ・ウォーホルのために、既成概念を覆すラインを備えた、おそろしくモダンなローファーを生み出しました。アーティストはこのオリジナリティに魅了され、喜んでこの靴を引き取りました。以来、«アンディ»はメゾンの看板といえるモデルとなっています。

さらに時代は、軽快さ、新しい経験を求めていました。’80年代の間に、見たことのないような色が、メゾンのコレクションの中に入ってきました。ラグジュアリーという味わいにオルガはスパイスを加え、さらにヴェネツィア・レザーを開発しました。こうしてパティーヌが、独自の彩をもつ豊かなトーンと色合いのパレットが生まれたのです。これらカラフルなスーリエは突如として、魔法のような世界を出現させ、ベルルッティというメゾンが表す、情緒そのものであり続けています。

ベルルッティ・アート
今日、オルガ・ベルルッティは、特別なモデルに取り組んでいます。
「ベルルッティ・アート」コレクションが、間もなくメゾンに登場することでしょう。

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